江戸時代、教育を重んじた篠山藩10代藩主・青山忠高が、この地方最初の教育施設として設けた歴史的な学舎。 本校が他の藩校と異なる部分は、藩士の子弟ばかりではなく、庶民も受け入れて無月謝で多くの人材を育てていたこと。 この教育精神が後の鳳鳴義塾創設や尚志館創設へと受け継がれているのでしょう。
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